サザンピーチΣ
サザンピーチΣ  あの南田操の新作小説をはじめ、新鋭精鋭の小説やエッセイ 
<富澤南桃堂(とみさわなんとうどう)発のWebマガジン>
『碧翠の風 ------翼帥王征典』 南田 操
第一章
 征典に曰く、
「・・・その孤児(みなしご)は、シャール・ラメリアと名付けらる。シャールとは見出された刻の雄々しき風に、ラメリアはその碧翠の眼より由来す。
 生まれも知らぬ身ながら、宝翼将ビドー・アウランゼーブに薫陶を授けられ、齢僅か十有五にして翼輔に列し・・・」

 あまりにも有名なこの冒頭の一節は、広く人口に膾炙し、時を越え宇内天宙に知らぬ者の無いほどであろう。だが、何故にビドーの翼輔団に拾われたのか、何故に十五で翼輔となれるほどの天稟の才を授かったのか。そして何故に百年余も続く宇内の混乱を治めることができたのか。
 この物語は、征典の成立を待ち、密かに編まれたものである。歴史となる征典には書かれなかった行間に埋もれた事象を紡ぎ出した昔語りだと思ってほしい。だが、我々は伝えなければならない。いつの日かのために。


               一


風が、光を巻き上げた。
それは一陣の疾風となって、少年の周りを駆けめぐる
亜麻色の髪が震えるように天を衝き、翠の瞳が虹色にきらめく。
ふわりと。
まるで木の葉が風に舞うように。
間違いなく、その少年を乗せた盾は、翔舞[とん]だ・・・。
空に浮かび、緩やかに宙を滑っている。
その上に乗った少年の肢体は、初めて立ち上がった赤子のように、バランスを取ろうと懸命に動いている。
辺りにいた大人達は、声を上げる余裕すらなく、不思議に打たれた面持ちで、懸命に目の前に起こったことを理解しようとしていた。
こんな子供が・・・
親も知れぬ孤児が・・
 世の常識を越えたこの出来事をどう理解したらいいのか。
だが、確かに、その少年は、古びた木製の盾に乗り、宙に浮かんでいたのだ。

そんな大人たちの想いとは、全く別の世界に少年の心は泳いでいた。
体が浮き上がったその刹那の驚きは、からだの奥底から衝き上げて来た歓びの奔流が粉々に砕いて押し流してしまった。
心は震え、滾らんばかりの血潮が体中を駆けめぐる。
重力という絶対の「真理」が解き放たれ、それ自身が単なる「呪縛」の一つに過ぎないと知った驚きは、どう譬えたらよいのだろう。
「自由」とは、こういうことだったのか。
幼い魂は、生まれて初めて太陽の光を浴びたように、驚き、そして精一杯伸びをして、その光を浴びようとする。
-----翼輔になれる?
次の瞬間、これまで思いもかけなかった事実を思い出す。
真理と自由の関係よりも、その憧憬に満ちた言葉の方が、はるかに少年の心を揺さぶった。
「翼輔」――――世界の中で、選び抜かれたほんの一握りの勇者。
自分がなれるかも知れないのだ。その、常人を遥かに超える智慧と勇気と技量とが揃わなければなれない翼輔に、である。
彼とても知っていた。それは、幼いころから厳しい修行を積み重ね、成人の証である飛盾式で試され、初めて翼輔となれることを。飛盾式は、少年にとっては、まだ数年も先のこと。
 いつしか世の常識となった決まり事によれば、貴族の子弟でなければ翼輔にはなれない。平民出身の翼輔など、ありえないのだ。ましてや、氏素性も分からぬ拾われた孤児が、いくら間近に翼輔を見ていたからといって、そう簡単になれるものじゃない。
ただ、翼輔とは、いつの世にあっても、氏素性ではなく、純粋に、盾に乗って飛べるか否かにかかっている。いくら貴族であろうと、事実、盾に乗って空を飛べなければ、決して翼輔とは呼ばれることは無い。
翼輔団に所属しようと、その中の名誉ある地位を得ようと、空を飛べぬ翼輔は、翼輔とは呼ばれないのが習わしだった。
そもそも古には、盾に乗ってとべるだけでは、翼輔とは呼ばれなかったそうだ。人格、識見、技量、全てがそろわなければ、翼輔と名乗れなかった時代もあるそうだ。
今では、幼いころから、特訓を受ければ、ある程度、盾を乗りこなすことができる。
いつしか、盾に乗り空を飛ぶことは、貴族の特権であるとさえと思っていた。自分たち平民とは全く縁の無い世界である。・・・と
だが、少年は、飛んだ。

飛ぶ方法は、極めて簡単。
念ずればいい。
重力の真理を解き放つだけの、太陽風の力を感じ、複雑に入り組んだ、二つの力を解きほぐし、太陽樹でできた盾の周りに、一つの「場」を作り出させれば良い。この「場」の形は、個人で相当違う。薄い皮膜のようなイメージもあれば、厚い板のような形状もあれば、水と水とがぶつかり合う白い泡の壁のような場合もある。いずれにしても、イメージを操り、実相とする力こそが、翼輔をして翼輔たらしめているのだ。

「すぐに、団長にお知らせしなければ」
からかい半分で、ことのなりゆきを見ていた一人の翼輔が、居住まいを正してそうつぶやいた。
「こんな例は、聞いたことがない。いや、はるかな昔、初めて翼輔がこの世に生まれたころになら、例はあった。
最初の翼帥、サリアン・ラフィールドは、10才に満たない歳で、盾に乗り、宙を駆けたと」
アルケー翼輔団の教練科長であるザンピア翼輔長が、厳かに言った。
進入の翼輔の卵達に、その最も基本的な゛業″である飛翔法を教える教程での椿事だった。
素質ありとして入団を許された新入の翼輔補達を集め、とりあえず地元で積んできた修行の成果が、ここでは何の意味ももたないということを骨身に染みさせるための゛儀式″にはいろうとしたところだった。
余興がわりに、見物に集まっていた子供達のなかで、盾に乗って空を舞う゛飛翔法″に挑戦させようとしたとき、本来ならばありえないことがおこったのである。
「シャール!」
あたりにいた子供たちが歓声を上げる。
少年の体から緊張がほどけていく。
すうと盾は浮力を失い、ひとびとの中央に降り立った。
「すごいぜ、シャール」「 僕は本当に飛んだの?」
駆け寄った少年は、思い切り、シャールの脾腹をたたく。
「お前、翼輔だぞ、翼輔」
「シャール、バンザーイ!」
少年達は、一斉に声を上げた。
「シャール、盾を持って、中庭に来い。団長にご報告する」
ザンピア翼輔長は、内心の狼狽を少しも出すまいと注意しながら、短く指示を出した。
「学生は、ここで待機」
ザンピアが、場内に消えるのに続き、指導教官達、あたりの取り巻きの子供達もシャールを取り囲むように、その後に続いていった。

「シャールが、飛んだ、と?」
団長は、ほうという顔をして、一瞬驚いたようだが、駆け込んできたザンピア翼輔長ほどの驚きは浮かべなかった。むしろそっけなく、「まぐれだろ」と応えた。
世の大人達と同じ「非常識」を拒む様子だったが、ザンピア翼輔長がいつもの冷静さであったなら、そのあまりに自然な所作に、まるでこの日が来るのを予期していたかのような気配りを感じていたかもしれない。
窓の外から、歓声が近づいて来るのが分かった。
「確かめてみるか」
いつもより素早い身ごなしで、団長は、ザンピアを伴って中庭に向かって下りていく。
そこには、晴れがましい顔をした一人の愛すべき少年がいた。
目と目が合った。常日頃、謹厳な顔をしている団長の目が、やさしく微笑んだのを、確かにシャールは感じた。
認めてもらえる。団長閣下に。
その思いが、少年の頬をさらにアルケー潮させた。
「飛べたのか?」
「ハイ!」
一呼吸、微笑んだ団長が、右手を伸ばし人指し指でシャールの左のこめかみに触れながらこう囁いた。
「-----まだとばなくていい」
シャール以外の誰にも聞こえない<思惟>の声で。
ビクンと、体に熱湯が流れたような感じを覚えた。
「えっ・・・?」
「どれ、見せてもらおうか」
団長は、あたりに集まった翼輔や、近くの子供達を見回し、そう言った。
シャールは、戸惑いながら、手にした盾を地に置き、その上に足を乗せた。
「いけっ! シャール!」
「シャール翼輔、頑張れ」
少年達は、大声で声援を送る。
シャールは、天を仰ぎ、両手を広げてバランスを取る。
「・・・・」
両目を閉じ、一心に念じる。
歓声は止み、何十という視線が、シャールに集まった。
「・・・あれっ?」
シャールは、素っ頓狂な声を上げた。
「飛べない・・」
どっと、観衆の半分が笑った。
半粉は、落胆とも非難ともつかない声を上げる。
「確かに、飛んだのです。私も見ました」
団長に、必死で、説明するザンピア翼輔長の姿があった。
「なあ、お前も見たよな」
 あたりを振り返り同意を求める彼に対し、
「まあ、まぐれ、というやつだな」
団長は、含み笑いを残し、踵を返す。
「なんだ、まぐれか」
観衆は、がっかりしたように話会いながら、散り散りになる。
「シャール」
団長が、思い出したように振り返った。
「翼輔になれるように、修行をするか?」
輪の中心に、真っ赤になってうつむいていたシャールは、団長の言葉をすぐに理解できないでいた。
「見込みがあるなら、鍛えてやってもいい。な、ザンピア」
「ハ、ハイ・・・」
シャールは、団長のお声がかりとはいえ、孤児で、賄いのヨーディン夫妻の手伝いをしている子供だ。翼輔の修行など、貴族の子弟であっても、厳しい入団試験を経て初めてなれるというのに、だ。
ザンピアは、団長の真意を図りかねた。そもそも、「まぐれ」などありえない。それに自分は、しっかりとこの目で見たのだ。だが、団長は今飛んだことは認めようとはしなかったが、翼輔としての修行を認めた。それは、シャールに素質があると見極めたということか?
ザンピア自身、このシャールという子供の持つ天性の煌きを好ましく思っていたこともあり、また、自分がこの場の人騒動を起こしてしまったという負い目もあり、その決着を受け入れることにした。
「どうなんだ。やるのか、やらないのか。厳しい修行だ。耐えられるか?」
「ハ、ハイ! やります。絶対やります。 やらせてください」
「いいだろう」
と団長。
「だが、賄いの手伝いも、忘れるなよ」
黒のロングコートを翻し、後ろ手を組んだ団長は、ゆったりと優雅な歩みで、ただしそれは翼輔の修行を積んだ者の歩き方で、常人ならば駆け足に近い速度でだが、建物の中に入っていった。

「何か、騒ぎでも?」
「いや、子供の悪戯ですよ」
 団長は、差し出された手の甲に自分の左手の甲を軽く触れさせる。
「握手の日まで(エクス・ドゥーム)」
「ご機嫌麗しくご同慶の至りですな」
 謹厳を絵に描いたといわれるアルケー翼輔団長ビドー・アッバーシオは、眉一つ動かさず、この遠来の客に答えた。
 握手が、親友の誓い、神聖なる誓いの徴とされて以来、貴人たちの正式な挨拶は手の甲と甲を軽く触れ合わせる「握手の日まで」となった。本来、そう呼びかけられれば、同じく「握手のひまで」と応じるのが礼儀であるにも関わらず、団長はこの客に向かってそう答えなかった。
 客人本人は大人の風を以って、非礼を咎めることもなく、広大な客間の自分の席に腰を下ろしたが、供でもいたものなら大騒ぎになっていたであろう。
 かつては王国の藩屏として、王廷徐目では極めて高い地位を与えられていた翼輔団長も、いまでは、各地に乱立した名ばかりの翼師団のせいで、その権威は地に落ちていた。
しかも今、彼の目の前にいるのは現在王国で一、二を争う権勢を誇るザンデルリンク家の家宰であるダレン・マーニュである。
 団長にも言い分はある。王の直臣と陪臣の差がありながら、対等の挨拶をするなど、とても礼儀にかなったものではない。
「さて、こうして伺った趣旨はご理解いただいていると思いますが、そろそろ団長のお心をお聞かせ頂きたいとおもいましてな。」
「これはなにかと思えば、そんなことでわざわざ。手紙も、使者の方にも、丁重に断りをしたはずですが」
「この混乱の世をいつまでも続けさせるのが、高潔で聞こえたビドー翼輔団長のお心とはとてもおもえませぬ。われらとともに世直しを」
「本当の世直しならばよろこんで、いつでもこの命を差し出しましょう。誠義のためなら」
「これは聞き捨てならない。われらがまるで私のために立とうとしているとでも」
「陛下は、もはや、ザンデルリンク公なくては、夜も明けぬありさまと伺う。王国の全ては、貴下のものではありませんか」
「宮廷には不穏な動きがあります。われらが兵をおだししたのは陛下の御身を守るため」
「近衛の羽林翼輔団がいるではありませんか」
「もはや何の力もありません。貴族のおぼっちゃま方の遊び場にすぎません。王都では年頃の娘は、羽林の翼輔がそばにきたら隠せといわれているそうですぞ」
「カーライド団長がそんなことを許すはずが」
「団長はご病気だそうです」
「な」
 ビドー団長の顔が一瞬青ざめたように見えた。
「あなた方はそこまで・・・」
「誤解をなさらぬように。翼輔団の評判が落ちたとはいえ、団長のように王国の心ある者達が慕う高名な方はいらっしゃいます。われらが大義に立つときには、どうしても団長のご支持が必要なのです。こんな田舎の古ぼけた城を守るだけでその人生を終わらせるのではなく、翼輔の誇りを今一度王国に鳴り響かせなければなりません」
熱弁を振るダレンを、ビドーは冷やかに見つめるばかりだった。
最強の猛獣さえも射すくめるといわれたその威厳に満ちた視線を、ダレンも一歩も引かずににらみ返す。その胆力も並ではない。
「そもそも、王の信任の厚いビドー団長閣下が、なぜ、このアルケー翼輔団だけに縛られておられる。始源(アルケー)と名付けられたお志しは高く評価致しますが、残念ながらまだまだ始まったばかりにお見受け致します。本来なら、もっと晴れの舞台に出て活躍の場が与えられてしかるべきだと思われませんか。あなた程の器量をお持ちならば、伯爵、いや侯爵の爵位を得てもおかしくはありません」
満面の笑みを浮かべてそういった途端、ダレンは、突然、原因不明の息苦しさに襲われた。
「ぅぅ・・・」
みるみる血の気が引いていく。
「翼輔の誇りが、どんなものであるか、貴兄はご存じないのかもしれない」
団長は軽く目を閉じ、ソファの背に深く凭れ係る。
「悪戯がすきたようだ」
団長は、立ち上がり、左手を優雅に広げ客人の退出を求めた。
その瞬間、ダレンが感じた息苦しさは嘘のように消えていた。
ゾクリと、寒けが襲う。ダレンの脳裏に「不空」という言葉が浮かんだ。これがそうなのか。有無を言わさぬ巨大なプレッシャーだけでなく、明らかな「殺意」にもその姿を変え得る恐るべき超常の力。
「わ、わかりました。今日のところは、これで」
ダレンは巨体を揺すり、部屋からでようとした。
この男も、それなりの人物である。もう一言言っておかねば。その思いが、恐怖に打ち勝ち、廊下に片足を踏み出したとき、振り返ることができた。
「いずれ、我々の志にご賛同戴ける日がきますよ、きっと・・」
しかし、その視線の先、いままで団長が立っていたところには、その姿はなかった。
「それは多分、来ないと思います。遠路わざわざありがとうございました。」
たしかにそよぐ風を頬に感じた。それは、自分が振り返った時に起こる風であったと思っていた。だが、その風はビドー団長が起こしたものであり、自分の脇を目にも止まらぬ速さですり抜け、廊下の先で客人を待っていたのだ。
背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
----これが、翼輔・・・。
「閣下」
友の者達が駆け寄って来る。蒼白になった主人を見留め、刀に手を掛ける者さえいた。
「控えよ。無礼があってはならん」
ダレンは必死でそれを制した。
伝説の「翼輔」というものが、実在するとしたら・・・。功利に長けたダレンの頭脳は猛烈に回転していた。
「賢明な方だ」
団長は、にやりと、不敵という形容がそのまま嵌まる笑みを浮かべ、客人達を送った。

「何か、おもしろい話でも」
シャールに修行のイロハを指示して戻って来たザンピア翼輔長が、その様子をかいま見てそう尋ねた。
「なに、私を侯爵にしてくれるということだ」
「へっ?」
「裏切り者になったら、という前提付きだが」
ザンピアは話の内容を了解した。
「あわてふためいて帰っていきましたが、きっちりお灸をすえたわけですか」
「私も大人げない」
表情も崩さず、団長はそう漏らした。
「そうだ、アルソンヌワインのいいものがある。少しつきあえ」
「えっ。は、はあ」
ザンピア翼輔長は、喉元まででかかったが、団長が何を肴に酒を飲もうと言い出したのか、問いかけるのを思い止まった。
たぶん。と、再び言葉を飲み込んだ。
それが、自分達にとっても最もすばらしい未来に繋がるのではないかと思えたからである。

「クラーレット・ドメーヌクラスのアルソンヌなんて、何年振りかですよぉ。はっはっ」
顔を真っ赤にしながら、ザンピア翼輔長は、3回目のセリフを口にした。
「親衛翼輔団の酒蔵から、退職金代わりにくすねて来たコレクションの生き残りだ。もう、新しいものを手にいれることもあるまい」
いつになく饒舌になっている団長も、その頬に朱が差していた。
「こういう文化そのものまでもが、失われつつあるのは、全く嘆かわしい。全ては、あの通関勅許のせいだ」
むろん、世の経済がそれだけで動くわけはないが、心ある者にとっての象徴的な事件であったことは確かだ。
「通関事件・・ああ、10年前のあれですね。各地の地方領主に自主通関徴税権を与えるという。おかげで、べらぼうな通行税を取られるってんで、物の流が一気に萎えて、物の値段が数倍に跳ね上がった。たしかに、あのころからだ。生活がひどくなって、世の中じゃ゛失われた10年″なんていわれてますけどね」
「お前も、新聞くらいは読むのか。まあ、紙もなくなってきたからもう毎日というわけにはいかないが」
「新聞なんか読みませんぜ」
ザンピアは、酔いのせいか言葉遣いが乱れ初めている。
「読んだところでどうなるもんじゃなし。立体映像(フィギア)で、十分ですよ。ニュースを見てれば、大概のことは分かる。王都の流行やら、かわいいねーちゃん達のことも」
「翼輔たるもの、そんな下賤なものを見るんじゃない。ま、いいか。娯楽も必要だ。この十二方は、王都から船で3日も架かる。忘れられた地方であるが故に、まだかつての王風が残っている。我等こそ、その良き流れを守り、次の時代につなげなければならない。国内の混乱だけが問題なのではない。これまでほとんど知られていなかった、隣の“島”から怪しげな連中が入り込んで来ているようだ。やつらは、人の“魂”を食べるという」
「げえ、まじっすか」
ザンピアは、カクピイの実を頬張った。発酵させた独特の風味がアルサンヌワインにはなくてはならないものとされている。
「噂だ。が、精神エネルギーを好物にする生き物がいても不思議ではないがな」
「内憂外患ってやつですね」
「そうだ。ふふ、お前の口から聞くとは思わなかったな」
「失礼な、団長、こう見えても自分は」
「はは。すまんすまん。

政治情勢というのは、極めて複雑に絡み合い形成されている。権力というものは、その複雑にからみあった編み目のどこに力を加え、どこを押せば、どうなるということを知ることである。人が一人で行えることは、あまりに小さい。だが、世の中というものが、複雑に絡み合っているからこそ、そうしたことが可能になるのである。
たった一人の「想い」が歴史を変え、一つの「意志」が世界を変えうるのだ。

「そういえば、シャールには、当面水汲みをさせますが、後なにか」
「岩潜りでもさせておけ」
「いきなりですか」
「まあ、2、3年はかかるだろうが。基本が大事だ」
「自分は、7年かかりました」
「私は2年かかった」
「買ってらっしゃいますね」
「私が拾ってきたのだ。当然だ」
団長は、楽しげにそう言う。
「そういえば、あいつがここに来てからもう10年。2才でしたっけ」
「そうだったな。門の脇に置き去りにされ・・・」
「まあ、オレも、団長に拾われたようなモンですから、あいつには、なんか情が移っちまいますよ」
ザンピアは、20年は昔の若かりしころの無頼の仲間に身を於いたころの言葉遣いでしゃべった。本音を口にするとき、どうしても昔ながらの言い回しの方がしっくりくるのだ。
「あれは、確か団長が陛下に呼ばれて王都にいっていた帰りですよね。めずらしく護衛もつけず行かれたと思ったら、赤ん坊を抱き抱えて門を入ってきたんですよね。みんなたまげてましたよ」
「・・・・・」
団長は、暗闇が迫る窓の外に視線を移した。
「ちょうど王太子が立太子の式を上げたころですよね。我がアルケー翼輔団も、儀仗武装で参列しましたっけ。久しぶりの王都でした。あのころはまだ、きれいな町でしたが、今じゃぁ・・・。
王太子の外戚にあたるザンデルリンク家の権勢は日に日に強くなるばかり。王妃を女狐っていう声もあるようですぜ」
「口が過ぎるぞ。翼輔たるもの、そのような事、口に登らせるものではない」
「ですが、団長もお親しかった側室のサーライト男爵夫人も、王妃が手を掛けたと」
「もうやめよう。その話は」
「なんでも身ごもっていたっていう噂もあるくらいですし」
「口が過ぎるぞ」
表情こそ変えないものの、右手で机がたたかれ、瓶が倒れた。
「・・・失礼しました」
「夫人は病気だったのだ。」

その時、突然、サイレンが鳴り響いた。
それは敵の来襲を知らせるものだ。
「なんだって?」
ザンピア翼輔長は、それまでの酩酊振りがうそのように、椅子から跳ね起きた。
「あわてるな。さっきの客の再訪だ」
ふたりは、窓をあけ、バルコニーに出る。西から北に向けての眺めになる。
「あ、あれ」
その帆船は、ゆっくりと、しかし確実に速度を上げてこの城にめがけて進んで来る。
天宙航路用の巨体は、4本マストの威風堂々たるもの。そんな船が、地表すれすれを飛ぶなんて、常識外の行動だ。
「ぶつける気か!」
その船体に目を凝らせば、全面に分厚い装甲が施された重装戦甲艦である。石作りのこの城に突入を掛けることも十分可能だ。
「権勢を見せつけたいのだろうよ。いくら翼輔がいても一人切りで何ができると、な」
団長は、軽く笑った。
「団長、そんな呑気な。でも、わがアルケー翼輔団には、300甲の翼輔がおりますが」
「わが、シェリオン・グランの防備に不安があるか?」
「い、いえ、その」
「今日の守備は?」
「はっ。第7小隊であります」
ザンピアが、直立不動の威儀をとった。
「マキナス翼輔正か。久しぶりに実戦訓練だな」
団長は、ワインで上気した頬をゆるめながらそう呟いた。
「団長閣下! 」慌ただしいノックの音もそこそこに、制服に身を包んだ当直士官か飛び込んで来た。「正体不明の重装戦甲艦が、シェリオン・グランめがけて突入して来ます。このままでは、城壁に激突します。艦首貫徹強襲の態勢です」
「・・おかしいな、ザンデルリンクと名乗らないか?」
「団長! 不明船から点滅信号。我、ザンデルリンク家の所有船。舵の故障で操舵不能。このままでは激突不可避。至急退避願うとのこと」
次の伝令が駆け込んで来た。
「城壁を壊されて請求書を送っても無視されるだけだ。対応は当直士官に任す。丁重に、天宙[そら]へご案内しろ、とな」
団長は、再び、バルコニーに出ると、両腕を前に組、毅然として重甲帆船をにらみつけた。
空気の振動が、地鳴りのように襲って来る。
ビドーが目を凝らすと、もう1キロ程の距離に近づいた帆船の艦橋に、先程の客人だったダレンその人の姿があった。光が届く以上、見えないものはない。それが不空の教えである。そのわずかな光を結像させると、ダレンは、豪華に設えられた首座に、酒を片手に、にやにやと笑っている。
「翼輔のなんたるかを、きちんと理解するがいい」
ダレンが、士官に促され、どうやら望遠画面のなかのビドーの姿を見つけたらしい。
顔を真っ赤にし、罵り声を上げている様が見える。
「ふっ」
苦笑するビドーに、酒杯を床に投げつけさらなる罵声を浴びせかけた。
巨体は、みるみる近づいてきた。
城壁と、塔の一つ、二つで済めば軽いほうだろう。
と、城のまわりから、7つの光が舞い上がった。
翼輔である。
太陽樹の盾に乗り、自由に天駆ける無敵の戦士。
太陽樹は、不空の力によって重力の呪縛を断ち切るとき、黄金の燐光を発する。それが、軌跡となって、今、無法なザンデルリンクの重装甲帆船に飛び掛かっていく。
7人で1小隊を形成する。古来より研ぎ澄まされた必殺の陣形である。
まるで波に乗るかのように、翼輔達は気流を掴み天空を駆け登っていく。
4シャークと定められた盾の長さは、子供の背の高さ、大人の上腕の長さのざっと4倍。盾はもちろん防御に使うが、甲の部分を下にし、その上に乗れば、自由に天宙を駆けめぐる乗り物にもなる。盾の上辺には、搭乗用の紐がつけられ、前後にが軽く開いた足と、片手で持ったこの紐で、バランスと操縦を巧みに行うのである。速度のコントロールは、専ら意志の力によるコントロールだ。
7人の翼輔の先頭に立つマキナス翼輔正が、片手を上げる。
サッとまるで鶴が翼を広げた様に6人が散り散りになり、重装甲帆船の行く手に円環を成すように展開した。
円環の頂点に一したマキナスが腰の笞を取り出し、軽く頭上で一振りすると、真下に向かってふり下ろす。と、一条の光の綱がそこに生じた。次々と他の翼輔達も円環の中心に向けて同じ動作を繰り返す。7本の光の綱が結びつき、相互に干渉し合うこととで、その光の綱が、あたかも蜘蛛の巣のように互いに結びつき、成長を遂げていった。
突進してくる巨大な装甲帆船をとらえようというのだろうか。
遠目に見えるダレンの狼狽振りは目を覆うばかりだった。
突然目の前に現れた翼輔達。自らの権勢を頼み、「故障」という言い訳の下の傍若無人の振る舞いを正当化しての強襲に、反撃があるという思いはなかったようだ。
だが、現れた翼輔達は、光の網を展開し、帆船を止めようとしている。
そんなことができるわけはない!
どうやら制止に入った船長を殴りつけ、命令を貫徹させようというところだ。
「来るぞ」
ビドー団長は、低く呟いた。翼輔達の連絡法である倍音話法だ。無限の距離を減衰無しで伝播する発声法である。
「いきます」
マキナス翼輔長の返事と進撃の命令が聞こえる。
ゴォォンと、巨大な鐘が打ち鳴らされたような音と、重装甲の金属が軋み合う音がまざりあい、轟音となって降り注いだ。
「ばかな!」
艦橋にいたダレンが、衝撃に椅子から投げ出されそうになりながら叫ぶ様がよく見えた。
一揺れ、二揺れの後、巨大な帆船は止まった。
ちょうどゴムの網に捉えられたかのように帆船の船首を中心に円錐形に広がっている。
「放擲用意」
マキナス翼輔長が号令を掛ける。
「放擲」
7人の息はぴたりと合った。
低い振動とともに、限界まで伸びたゴムがはじけるように、帆船は、見えない巨大な力に押し戻され、夕焼けの迫る空に押し戻されていく。
「見事!」
ビドー団長は、パンと手を打った。
その声が聞こえたのか、中空にいて、帰依ゆく帆船を見ていたマキナス翼輔正が、振り返り、大げさなしぐさで、腕を大きく前に下ろして一礼した。
「どうも、世人は我々が翼輔団であるということを忘れられているようだ。いかに宇内天宙を制覇できる大艦隊を組んでもみても、「翼輔一人あれば、戦艦これも沈黙す」といわれたことを忘れたのではないかな」
「大昔の諺だと思われてますね。翼輔がこの世に登場して千年、もう300年は戦いの場で活躍したって話は聞いてませんからね。ザンルリンク家の傭兵どもは度肝を抜かれたことでしょう。」
ザンピアも楽しそうに応ずる。「馬に乗れたのが騎士じゃない。騎士は騎士であるが故に騎士なのですから。世の中は良くみてますよね、連中のような傭兵翼輔は、「翼輔」とは呼ばない、「翼師」「翼師団」と呼んでいますからね」
「当たり前だ」
部屋に戻り、窓を締める。
当番従士が直立不動で団長の指示を待つ。
「サクラード主計長に指示。ザンデルリンク家からの城壁修繕費乃至は寄附の申し出については、謹んで拝受するように。答礼もわすれずに。それと、当直小隊に、酒保から差し入れを手配するように。見事であった、と」
「はっ」
当番従士が立ち去るのを待ちかねて、ザンピアは真意を糺した。
「なんで、ザンデルリンクからの金を貰うんですか。いや、やつらはどうして」
「今頃は、雷弩の一斉放射をしろとでも喚いているだろうが、あの男は、相当に欲深い。我々の実力を見て、欲しくなるに違いない。今度は、懐柔に出る。我等とて、まだ時間が必要だ。しばらくは事を荒立てることは不得策。それに金はあった方がいい」
団長は、クラーレットの紺碧の色を楽しみながら、言葉を選んだ。
頬の上気は、上等なアルソンヌワインのせいだけではなかった。
「王国は、最早、死の淵に瀕している。」
神聖翼輔団長宝翼輔長ビド--・アッバーシオンは、中空を見据えてそう言った。
ザンピアは、目を閉じた。
「一言で言えば、シャールオン王朝は、既にその余命は尽きている。古来、一つの王朝が千年余りにわたって栄え続けた試しはない。宇内天宙十億の星々、千億の民草をしろしめすシャールオン王朝といえど、例外ではない。二度にわたる「ルリアの中興」の時期を経たものの、三度目があると期待するのは浅慮である。
王の身辺を警護する羽林の兵も形ばかり。宮廷を乗っ取った宮宰ザンデルリンク侯爵家の好きに委ねられるありさま。
もはや、王家は、ただ血筋を残すことのみが目的の一族に成り下がり、官僚機構と、割拠する大貴族<ジーマー>に政治は壟断され、無辜の民草は、名も知れぬ徴税吏の収奪を甘受するしかなかった。
この十年、度重なる戦役は、無頼の侵入者達と、実力で大貴族を打ち倒した地方の英雄達<ガバナー>に対して繰り返され、その度に、国力は疲弊し、いたずらに徴発された兵士の血が無為に流されていった。
そして通関勅許以来、王国内では、それぞれの貴族が領有する領邦間の通称は無いに等しい。経済というものが、崩壊し、多くの領邦では自給自足のありさまだ。シャールオン王朝成立以前の暗黒時代に逆戻りしているありさまだ。いや、かつて科学万能を唱え覇を競った中世暗黒紀の方が、まだ民草の生活は豊かで安全だったかもしれない。
不空を換骨奪胎した「導法」などというものが幅を効かせ、科学の恩恵から人々を大きく隔たせてしまった。
もちろん、翼輔も同じだ。いつのころから、単なる゛盾乗り″に堕落してしまった。いい盾が手に入れば、うまく乗れる。導法遣いに、感応相乗の道筋を付けてもらえば、誰でも飛べるだろうよ。金が解決するようになっては、翼輔もお仕舞いだ。岩潜りも、風速歩もできないで、翼輔と名乗るなぞ、片腹痛い。」
「10年がかりでしたね。我がアルケー翼輔団も形になったのは。まあ、あん時は、自分もびっくりしました。親衛翼輔団団長だった団長が、新しい翼輔団を作ると言い出した時には。
まあ、でも、ロクでもない翼輔団でしたからね、あの親衛翼輔団も。親衛翼輔一千甲と言われても、まともに不空を使える奴なんざ20人に満たないありさまで、あとは貴族のぼんぼん達が、田舎の女共への自慢話を作るために何年間かの腰掛けをしてるだけ。多少の遠乗りができるのはましな方で、天宙<そら>に登れるのは100人に一人もいなかったんですから。団長が、<本物の>翼輔団を作ると、言い出したのも、分かる気がしますよ。でも、見てください。」
ザンピアは、高揚を抑えきれずにそう続けた。新入翼輔の訓練と教練に明け暮れ、自らの半生を掛けて取り組んだ精華が、この「アルケー翼輔団」であるという思いは、団長以上に強いかもしれない。
「小さいとはいえ、アルケー翼輔団3個大隊300甲は、間違いなく<本物>です」
「苦労をかけたな」
「えっ?」
ザンピアは自分の耳を疑った。およそそうしたことを口にしない団長がである。
髪の毛に白いものが混じり始めた万年翼輔長は、胸に熱いものがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。
゛今日は特別な日″なのかもしれない。
あれだけの重甲帆船をこともなく退けられる実力を、天下第一のきょう雄に示し、アルケー翼輔団発足から間もなく゛一家″に加わった捨て子のシャールが、翼輔の片鱗を見せたのである。
軽いノックの音が2つ。
「入れ」
「閣下・・・」
おずおずと入ってきたのは、そのシャール少年だった。
「かあさんが、閣下にお持ちしなさいって」
シャールは、両手一杯のバスケットに、気のきいた酒肴を盛ってやってきた。
「おお、こいつあ、ありがたい」
ザンピアは団長よりも先に、反応し、シャールの手からバスケットを奪った。
「すまんな。礼を言ってくれ」
団長も、微笑んだ。
「失礼します」
シャールは、うまくいえない気恥ずかしさで頬を明らめながら、そそくさと退室しようとした。
「シャール」
ザンピアが、声を掛けた。
「はい」
まるで、その一言を待っていたかのように、シャールは振り替える。
「明日の朝から、きちんとやれよ。教えた通りに」
「は、はい」
ぺこりと、鳶色の髪の少年は頭を下げた。
「あの、あの」
「? なんだ」
団長が、促した。
「ありがとうございました。本当に、僕、なんて御礼をいったらいいか・・・。とうさんとかあさんに言ったら、それはもう驚いて。とでもなくすごいことだって・・」
「お前には素質があるということだ。翼輔は、翼輔になれる者がなる。それ以上でも以下でもない。あとは、お前次第だ。修行がたりれば、翼輔になれる。それだけだ」
「は、はい・・」
いつも通りの冷徹な言葉に、シャールは、少し唇を噛んだ。
「そうだ。一つ、お前に仕事を頼みたい」
「はい。なんなりと」
「明日から、朝の鐘を鳴らした後、白の間に下りて、私の盾を磨いてくれ。毎日だ」
「はい。わかりました。僕、一生懸命やります」
シャールは、目を輝かして、頭を下げ、部屋から出ていった。
「団長、シャールに・・・」
ザンピアは、唖然として言葉を飲み込んだ。
世上の貴族翼輔は、当然のように従卒に盾を磨かせ、持ち運びまでさせている。しかし、翼輔にとって盾は命以上 の価値を持つもの。それを他人に委ねることは、まずしない。古き翼輔のしきたりでは、死期が近づいた翼輔が、その盾を継ぐ者に、盾と親しませるために管理を委ねることがあると聞いたことがあるくらいだ。
「物になるかな、シャールは」
楽しそうに、ザンピアに尋ねる。
「ま、任せて下さいよ。この私が、ぴかぴかにしてみせます」
二人は、「言珠の誓い」こそ建てなかったが、交わした視線と紺碧の甘美な液体で、それぞれ想いを、深く飲み込んでいた。
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|2012.10.10 Wednesday by 南田操| comments(0) | 戻る |
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