サザンピーチΣ
サザンピーチΣ  あの南田操の新作小説をはじめ、新鋭精鋭の小説やエッセイ 
<富澤南桃堂(とみさわなんとうどう)発のWebマガジン>
『桃さんと僕』 南田 操
桃さんと僕    <第三回>
    桃さんと僕  〈第三回〉
 
 
 望月三起也ファンクラブは、当時会員数100名くらいの規模でしたが、なにより写植印刷のちゃんとした会誌「HIBA」を出していたのが強烈な印象にあります。
 このサークルとの出会いは、第一回でもふれましたが、県立静岡高校の自治会室(生徒会室)だったのです。中学での生徒会活動(僕にとっての部活ですね)に満足していた僕は、高校では敢えて自治会活動には近づかなかったのですが、本当に偶然の出会いとは恐ろしいもので、この望月三起也ファンクラブと出会ってしまったわけです。
 会長T野女史と、M神さん、F見さんの三人が事務局を構成しT野女史の自宅が溜まり場でした。とりあえず僕は「雑用係」として採用されましたが、彼女たちとのおしゃべりは、これまで経験したことのなかったマニアックな知識の応酬で、自分が一番詳しいのではと思い描いていた世界が、とてつもなく広汎で豊穣であったかを改めて認識させられた、まさにカルチャーショックの場でもありました。特にインパクトがあったのが、ファンダム活動。「日本漫画大会」通称「マン大」の存在は、心ときめくものがありました。手塚治虫FC、石森章太郎FC、永井豪FCが主催者の中核だったマン大には、著名な作家の講演やアニメ作品の上映会、徹夜の合宿、同人誌即売会等、聞いただけで興奮してしまいそうなものでした。おまけに、そこで売っていた作画グループの「超人ロック」との出会いも忘れられません。ちゃんとしたコミックス単行本でアマチュア作品が売られていたのですから。おまけに、既存作品を超えるSF性と物語の面白さ、そして絵の上手さ! 
 こんな世界が東京では繰り広げられているのか、と、田舎の高校生には強烈すぎるインパクトを与えられたのでした。
 
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 彼女たちに教わった新たな世界は、もう一つあります。それが少女マンガだったのです。そう、それまでは少女マンガ好きの同世代の女の子が身近にいなかった、知り合えなかったのでした。もちろん、少女マンガ雑誌を読む程度の女の子は多数いましたが、「趣味」の共通する「面白い少女マンガ」を語ってくれる女の子とはめぐり合えていなかったのです。
そもそも望月三起也が好きな彼女たちです。趣味が合わないわけがありません。彼女たちによって、少女マンガの世界に誘われたといっていいでしょう。
最初に強く紹介されたのが、別冊マーガレットを読んでいるということで、河あきらの「特ダネやーい!」でした。まだ単行本化されていなかったのですぐには読めなかったのですが、河あきら、という名前がまずインプットされたのです。
前回書いた通り、僕の少女マンガ遍歴は、後輩男子から教えられた「別冊マーガレット」いまいかおるの「フーちゃん」からです。その後も、生徒会室で、別冊マーガレットを見せてもらったり、ついには自分で「フーちゃん」のコミックスを買い揃えてしまっていました。そして、中学3年の3学期くらいには、ついに本誌を買い始めることとなっていました。和田慎二の「我が友フランケンシュタイン」や「超少女明日香」に驚喜したのを覚えています。そして何より、「別マまんがスクール」でしたね。プロになれないものかと熱心に読んでいました。
ところで、今思えば、最初に触れた少女マンガは、なんと「フイチンさん」なのです。僕が小さい頃、叔母が同居していたときの蔵書が残っていて、それを小学校時代に読んだのが最初だったわけです。ただ、そのころは、少年マンガ、少女マンガの区別もなく、素敵な絵柄で戦前の満州の習俗が興味深かったのが特に印象に残っていました。最近の「フイチン再見」は、そんな意味でも大変面白いです。
「フイチンさん」同様、やはり少年マンガ・少女マンガの境目あたりからの興味という点では、和田慎二作品は特にその傾向が強いといえるでしょう。読みやすい和田作品を読みながら、男子が少女マンガを読むというマイナーさに喜んでいたのかもしれません。まだまだ本当の少女マンガは知らない時期だったのです。
そして折よく「特ダネヤーイ!PART 2」が19759月号に掲載されたのでした。果たして河あきらは面白かった! それも、コメディで。
そう、これまで自分の体験の中で、マンガで面白いものとは、あくまでギャグしかなかったのです。物語で笑わせるコメディをマンガで表現していた少女マンガに度肝を抜かれたのでした。コメディというジャンルでは、その当時NHKが送り出した「天下御免」がありました。物語の骨格はしっかりした歴史物でありながら、換骨奪胎、融通無碍、波瀾万丈、豪華絢爛、独創無比の作品でした。おおお、そうだ。我が記念すべき処女文庫単行本「シリウス・コネクション」のヒロイン柏木紅さんの紅は、「天下御免」のヒロイン紅さんから頂いていました! 
TVのコメディといば、さらに、「母さんは28年型」や「じゃじゃ馬億万長者」「フライマン」「OK捕虜収容所」といった洋物TVドラマの数々に、コメディというジャンルは日本では、よほどの才能が集まらなければうまくデキナイ「ムツカシイ」ジャンルだという思い込みもあったくらいでした。
そんな中で、鮮やかに強烈に河あきらのコメディ作品が僕のハートを射抜いてしまったわけです。何よりインパクトが大きかったのは、媒体として、少女マンガの世界はかくも肥沃な後背地を持っていたのかという発見でした。少年マンガでは、コメディを理解できる作品とは巡り合っていませんでしたから。
そこで、改めて目をやれば、美内すずえや市川ジュン、大谷博子といったドラマツルギー溢れる作品群が別冊マーガレットには綺羅星のごくと輝いているではありませんか。こんなにも豊かな表現ができる媒体なのか、というところから僕は少女マンガの世界に入っていったのだと思っています。
 
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 ところで、先程書いた「超人ロック」ですが、どうしてその作品を知ったかにも、少し面白いエピソードがあります。当時の望月FCの会合での雑談で、SFマンガや小説を書きたい的な話をしたとき、どんな作品と聞かれて「本当に超絶した超エスパーの話を書きたい。たとえば、絶対零度や太陽の中でも死なないような」と言ったところ、「それは超人ロックだね」と一言で返されてしまったのでした。「超人ロック コズミックゲーム」のラスト近くでの太陽の中でのエリカとの対決シーンは、圧巻でした。彼女たちが、日本漫画大会の同人誌即売会で買って来ていた作画グループの単行本です。まさか、後年、アニメ映画化にあたって宣伝プロディースを手伝うことになるとは思いもよりませんでしたけれど。
 そしてそんなSF繋がりで強く推されたのが萩尾望都でした。「ポーの一族」の単行本を借りた時の衝撃は、当然のことながら河あきら以上のセカンドインパクトでした。「ポーの一族」は、いわゆるSFではなく、分類としてはファンタジー、昔風に言えば幻想文学の系統だと言えるでしょう。ただ、僕は、あの作品に間違いなく「SF」すなわちセンス・オブ・ワンダーを強烈に感じたのでした。宇宙もメカもない作品にこそ「SF」があった。その驚きも一入でした。そして奇しくも同じ75年9月号の「11人いる!」今度は真正面ど真ん中のSFでした。島本和彦風に言えば、「やられたっ!!」「オレの考えていたことを全てもってかれたぁぁ」でした。
 ここから先は一気呵成。竹宮恵子の「ファラオの墓」や「変奏曲」、一条ゆかりの「デザイナー」「こいきな奴ら」「有閑倶楽部」、大島弓子の「綿の国星」、田渕由美子「フランス窓便り」に陸奥A子や太刀掛秀子、といったりぼん乙女チック路線にもどっぷり嵌まり込みました。ホームグラウンド別冊マーガレットでは、くらもちふさこ「いつもポケットにショパン」や槙村さとる「愛のアランフェス」にもさらに広がる少女マンガの世界を堪能していたのです。音楽をマンガにする。フィギアスケートをマンガする。不可能を可能にするとも思える表現力が共通する少女マンガの醍醐味でもありました。チビ猫の表現はサードインパクトどころではありません。「フランス窓便り」の儚さ、繊細さは、春はあけぼのようよう白くなりゆく山ぎわ、のような絶妙な移ろいの一瞬を掬い取っていたわけで、これはもう「文学」の世界でしか語り得ないものなんだと、全く感じ入るしかありませんでした。
 その流れで忘れてはならないのは、萩尾望都の「トーマの心臓」でした。少女マンガとはここまでできるものなのか、と。もはやドイツ教養小説とフランス心理小説の融合ではありませんか。これは、少女マンガに傾倒し始めて、前出のM本君に布教したところ、彼も一気に染まり、その類まれな嗅覚と蒐集能力で見つけ出してしまった作品でした。ちなみに彼とは、静岡高校の文芸部に一緒に入り、旧制高校ノリのデカンショ節、リベラルアーツ路線をまっしぐらに進んでいたところでもありました。
望月FCの彼女たちから教わって深みに嵌まった少女マンガですが、M本君という強力なパートナーに恵まれ一気に進化していったというわけです。そこからさらに少女マンガ崇拝とも言えるステージに駆け上って行ったのは、三原順の「はみだしっ子」でした。「だから旗ふるの」には、これはもう降参でしたね。
 この系統、夜明けの瞬間の薄明の中で、辺りに揺らぐ光の儚さよりも儚い一瞬の想いを掬いあげる繊細な慈眼。僕はここに少女マンガの凄さを見いだしていたのだと思います。
 このあと、たとえば、清原なつの「私の保健室においで」や川原泉「銀のロマンティックわはは」、沖倉利津子「おてんばセッチシリーズ」、紫堂恭子「辺境警備」を経て、緑川ゆき「夏目友人帳」、鈴木ジュリエッタの「からくりオデット」、そして最近は久世番子「パレス・メイヂ」に連なる一連の傑作佳作の数々を挙げておきたいと思います。これらのどこに魅かれたのかといえば、「境界」のぎりぎりの揺らめきを掬いあげる見事さに、強く強く惹かれていたのだと思っています。
 少女マンガの隆盛期、エマージングな熱さに日々刮目していた幸福な時代でした。次々と傑作、名作、佳作がわき出て、少女マンガという領域を驚くべき速度で、まるで開拓時代の西部フロンティアのように燎原の炎が広がっていった時代だったのです。
 
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この他にも、思い出に残る名作群があります。
「フーちゃん」に相通じるかもしれませんが、独特の世界がすばらしかった、りぼん、小田空「空くんの手紙」。萩岩睦美の「小麦畑の三等星」。マーガレット系では岩館真理子も好きでした。
LaLaでは木原敏江の「摩利と新吾」。森川久美の「南京路に花吹雪」。坂田靖子の「バジル氏の優雅な生活」も名作でした。傑作があるわけではなかったのですが好きだった成田美名子。多分絵とオシャレなセンスだったのでしょう。そして少し年を下りますが、大傑作、山岸涼子の「日出る処の天子」。花とゆめ本誌と股にかけた魔夜峰央。「ラシャーヌ」は特に高く評価しています。高校時代になると、かの大傑作「モンティパイソン」が放映開始となります。あの世界記録的な高度なギャグセンスにきわめて近いセンスがありましたから。
楽しさで言えば、月刊プリンセスの青池保子の「イブの息子たち」「エロイカより愛をこめて」。和田慎二作品の傑作パロディ「アラビアン狂騒曲」「ラムちゃんの戦争」も圧倒的面白さでした。
 フレンド系では、これまた望月FCの彼女たち一押しの西尚美「おねえさまシリーズ」がまず最初にあげるディープインパクトでした。このお姉様の造形は、桃さんと出会った後の記念碑的イベントである自主アニメ「アンドロメダ探検隊UNGEA(アンジー)」のお姉様、橘麗華さんにマンマ受け継がれています(笑)。ちなみに、名前は「ダイターン3」のビューティフル・タチバナと三条レイカさんから頂いてます。あ、アンジーももちろん「はみだしっ子」ですね(笑)。
 意外にフレド系のマンガは馴染みが少なかったですが、やはり庄司陽子「生徒諸君!」、渡辺多恵子「ファミリー!」は名作ですね。
 少女コミックス系はそこそこ抑えていましたが、80年からのプラフラワー、佐藤史生「夢見る惑星」、竹宮恵子「風と木の詩」、先ほどあげた「辺境警備」もこの雑誌です。プチコミックには、名香智子の「PARTNER」があり。マイブームでしたね。高橋亮子もフォローしてましたね。
まあ、今回、これを書くために過去の少女マンガリストを色々みましたが、懐かしいこと、懐かしいこと。たまりませんでした。まだまだ書き足りない気もしますが、そろそろ少女マンガの回はこれくらいで。
そうそう、2009年物ではありますが、最近、少女マンガの領域をさらに突き抜けてくれた快作を最後にご紹介します。よねやませつこ「マジョリン」。これもありか・・・!という意味でのK点越えかもしれませんが、面白いですのでぜひどうぞ。
 
 
 
|2015.02.06 Friday by 南田操| comments(1) | 戻る |
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